矛盾を生きる
職業柄、矛盾に対して人一倍敏感であるべき立場にいるせいかもしれないが、世の中にさまざまある矛盾について考えることがよくある。世の中はさまざまな矛盾に満ちていて、私たちは日々それらに対して不満を感じたり、声高に叫んだりする。矛盾は総じて歓迎されない。私たちは概ね、矛盾のないことをよいと考えている。論理的に整合し、無駄がなく、一貫したものこそ見ていて気持ちがよく、理に適っていて、安心感がある。逆に主張や行動に矛盾があれば厳しく糾弾される。
社会においては、矛盾はたいてい、なんらかの対応を迫られる。民主主義は多数決を基本原理としながらも、同時に少数派の権利保護を重視する。一見両立しがたいが、そこに「ていねいな議論の積み重ね」をかぶせることで双方の立場を取り入れることができる。弁証法でいう「止揚」、すなわち対立するものをより高い次元で統合する考え方である。同様のことはいろいろなところで言えて、資本効率を追求する資本主義はそれを阻害する所得の再分配があって初めて持続可能なものとなる。寛容であるためには不寛容に対して不寛容でなければならない。矛盾は矛盾のままであってはならず、より高次の考えのもとに統合されることが望まれる。もちろんそうはいかない場合も多く、単に間をとる、組み合わせてバランスをとるといった妥協に終わることも珍しくない。
しかし、改めてまわりをよく見回してみると、むしろ矛盾にこそ価値があると思われるものがあるように思う。