人には失敗する権利がある―「愚行権」から考える自由
2026年5月、成年後見制度の見直しをめぐる国会審議で初めて明示的に言及された「権利」がある。「愚行権」である。衆議院法務委員会で國重徹議員は、今回の制度改正が本人の自己決定をこれまで以上に尊重する方向にあることを確認したうえで、「人は、必ずしも合理的な判断をするだけじゃありません。愚行権と呼ばれるようなものもあります」と述べた。そのうえで、客観的には最善に見えない選択であっても、自分で考え、自分で決めることを尊重することがその人らしい幸福につながるのではないかと問いかけた [1]。これは一議員の思いつきで飛び出したことばではない。その前段階の法制審議会民法(成年後見等関係)部会でも「愚行権」の概念は明示的に言及されている。部会長の山野目章夫(早稲田大学大学院法務研究科教授)は、これを「愚かな行いをする権利というよりは、愚かであるかもしれない行いをする権利」と理解すべきだと述べている [2]。これまでこの「権利」を見聞きしたことのない人には奇妙な名前の権利にみえるかもしれないが、考えてみれば、これは私たちの自由というものの核心にかかわる問題である。
「愚行権」は、憲法や法律にその名前で規定された権利ではない。一般には、本人にとって不利益であったり周囲から見れば愚かに思えたりする行為であっても、他人に危害を及ぼさない限りそれを選択する自由は本人に認められるべきだ、という考え方を指す。日本では加藤尚武らによる生命倫理・応用倫理学の議論でも取り上げられてきた [3] [4]。その思想的な源流をたどれば、19世紀のイギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミルの『自由論』に行き着く。ミルが提示した有名な「危害原理」は、文明社会において本人の意思に反して権力を行使することが正当化されるのは基本的には「他者への危害」を防ぐ場合だとする [5]。裏返せば、自分自身にしか害を与えない行為については「そんなことをすればあなたが損をする」「あなたの健康のためによくない」といった理由だけで国家や他人が強制的に介入すべきではない、ということだ。
私たちは、日常生活の中で日々「愚行」を実践している。食べ放題のケーキバイキングで食べきれない数の皿を目の前に並べてしまう、健康に悪いと知っていても飲んだあとの「締めのラーメン」をやめられない、といったことは少なからぬ人が経験しているのではないか。近年では「ギルティ消費」「背徳グルメ」「チートデー」といったことばも聞かれるようになった。サントリー食品の調べでは背徳グルメは2019年の3.4兆円から2024年には4.1兆円と拡大しているという [6]。同社は2026年に炭酸飲料『ギルティ炭酸NOPE』を発売、一部報道によれば、発売1週間で出荷本数2,000万本、50日で5,500万本突破という異例の大ヒットを記録したという [7]。