和服にヒジャブの何が悪い

「和服にヒジャブ」を批判する言説をみたが筋違いも甚だしい、という話。
山口 浩 2026.07.07
誰でも

ムスリムの女性が浴衣を着ているSNSの画像を見て「ヒジャブはおかしい」と指摘するポストが多くの批判を浴びているのを見た。

より正確にいうと、「着物にヒジャブ姿は夜鷹のスタイルだからやめた方がいい」という趣旨のもっとひどいもので、助言めかしてはいるがまぎれもないヘイトスピーチである。そもそも的外れでまじめに取りあうまでもない妄説だが、看過できないので手短にひとこと。

なぜ看過できないかというと、外国人が着物を着ることについて問題視するのはこの手の人々に限られないからだ。つまり、類似の批判がかねてからあり、残念ながらそれなりに影響力を持ってしまっているので、今回のことがそうしたよくない流れに力を与えてしまうおそれがあるように思われるからだ。

既にある言説には、おそらく2つの類型がある。

(1) 文化盗用であるという主張

文化盗用(cultural appropriation)とは、ある文化圏特有の宗教、伝統、シンボルなどの要素を、その文化に属さない者が敬意や正確な理解を欠いたまま流用・私物化する行為を指す。特に、社会的に支配的な立場にある者が、歴史的に差別や抑圧を受けてきたマイノリティの文化を搾取・商業化する場合に強い批判の対象となる。

欧米諸国において、支配的な立場にある者(白人)が、歴史的・社会的に立場の弱いマイノリティの伝統や宗教的意味合いを持つ衣装などを、敬意や背景への理解を欠いたまま表層的・消費的に扱うことは醜悪である、といった主張はしばしばみられる。クリスチャン・ディオールの香水「ソヴァージュ」の新CMにネイティブアメリカンの伝統的な衣装を身につけた人物が登場することから批判が殺到しSNSからCMを削除した件(2019)[1]、アディダスがメキシコ・オアハカ州の伝統的なサンダルに着想を得たデザインの靴を発表したところ州政府やメキシコ大統領の抗議や批判を受けデザイナーが謝罪した件(2025)[2] などはメディアでも広く伝えられたが、それ以外にも少なからぬ問題が起きている。

着物に関連しても、外国人が着物を着ることは文化盗用であるとの主張が話題を呼んだことがある。2015年、米国ボストン美術館で、「Kimono Wednesday」というイベントが開催された。「東方を見る:西洋のアーチストと日本の魅力」展の一環で、クロード・モネが自分の妻に赤い打掛を着せ、見返り美人のポーズをとらせて描いた「ラ・ジャポネーズ」(1876)の前でそれに似せた柄の打掛を着て写真を撮ることができる、というものだった。

ところが、アジア系(日系ではない)アメリカ女性のグループがこれに対し抗議した。着物は単なるファッションではなく、日本の歴史や儀式において重要な意味を持っている。この背景を無視し、ボストン美術館のような欧米の美術館が来館者へのアトラクションとして「試着」させたことは歴史的コンテクストを軽視する文化盗用だ、という主張だ [3][4]。

日本に住む多くの日本人には何が問題なのかよくわからないかもしれない。文化盗用については、確かに「これはいかがなものか」という例もあって、2021年、米国人女優でインフルエンサーのキム・カーダシアン氏が立ち上げた補正下着ブランドを「Kimono」と名付けたことから批判が殺到し、撤回した件などはそれに当たるといえよう [5]。

しかしボストン美術館のケースはそれとはあきらかに異なる。実際、ここで使われた打掛は、2014年にボストン美術館が日本で『ラ・ジャポネーズ』の巡回展を行った際に共同主催者のNHKが京都の着物会社に作らせたレプリカであり、日本でも来場者がその打掛を羽織って写真を撮るイベントが実施され好評を博していた。その後、美術館が同様の体験型イベントを開催できるよう、NHKからボストン美術館に寄贈・提供されたものである。ボストン美術館は日本と同じことをしようとしただけだ。

文化盗用との主張は、いわゆるオリエンタリズム批判と通底するものがある。西洋が東洋に対して抱く、偏見やステレオタイプを含んだ認識の枠組みがあるというエドワード・サイード『オリエンタリズム』[6] の指摘は、それが単なる異国情緒への憧れではなく、西洋の優位性を前提とし、東洋を支配・管理するための政治的な装置として機能してきたことをあきらかにした。「kimono」はまさにその象徴的な存在というわけである。日本人ならともかく白人女性が着てみせることは東洋を見下してきた過去の歴史(それは今でも完全に消え去ったわけではない)を肯定するものだ、という主張だろう。もちろん文化盗用概念そのものにも賛否があり(少なくとも日本に住む日本人でこの件を文化盗用だと考える人は少ないだろう)、適用範囲については現在も議論が続いているが、議論の存在自体が、着物に興味をもつ外国の人たちにとって着物へのハードルを上げてしまうのではないかという懸念を禁じ得ない。

(2) 女性蔑視であるという主張

ここにもう1つの要素が加わる。欧米では19世紀以来、日本女性が「従順」「神秘的」「性的」というイメージで表象されてきた歴史がある。その典型例がいわゆる「ゲイシャ・ガール」であり、英語圏の小説や映画において、「ゲイシャ・ガール」はしばしば「異国情緒があり、男性に絶対服従する、性的に都合の良い女性」として描かれてきた(そもそも芸者と遊女は異なる職業だが、海外ではそうした知識は一般的ではなく混同されている)。『ラ・ジャポネーズ』の打掛も花魁の道中衣装であった可能性が指摘されている。芝居衣装の可能性もあるので研究レベルでは断定されていないが [7]、少なくとも欧米諸国において女性の着物姿はゲイシャ・ガールと結び付けられやすいことは否定できない。そうしたイメージをもつ打掛のレプリカを女性が嬉々として身にまとってみせることは、女性が虐げられた過去を肯定的にとらえ、ひいては現代の日本(そしてアジア)女性に対する蔑視や性的視線を容認するようなものである、といった主張であろう。

この主張も、日本に住む多くの日本人にはあまりピンとこないのではないか。現在、日本の結婚式で花嫁が「打掛(白無垢や色打掛)」を着用する比率は約20%だそうだが [8]、打掛の存在自体は広く知られているだろうし、それを花魁のイメージでみる人は少ないだろう。海外で着物を着てほめられた経験をもつ日本女性は少なくないだろうが、彼女らにとって着物は「日本人であることの誇り」の象徴であり、外国人が着物を着ることも「日本文化のすばらしさが海外でも評価されている」と映るのではないか。

しかし、日本についての知識が乏しい海外の人々の中にはそうではない人たちもいる。アジア系アメリカ人女性はその弱い立場ゆえにアメリカ社会の中でさまざまな差別や性的視線に苦しんできた。その意味で彼女らの主張は、彼女らの文脈ではスジの通ったものといえる。この点、Valk (2015)が、日本人が自分たちを「アジア」の範疇に入れていないと指摘しているのは興味深い。Kimono Wednesdayへの抗議に対し日系アメリカ人女性たちが「I am Japanese. I am not offended by Kimono Wednesday.」と書かれた紙を持って反論していたことから、彼女らが他のアジア系アメリカ人女性の問題意識を共有していなかったことが窺える。

ここで重要なのは、そうした批判が正しいかどうか以前に、着物(特に女性の着物)をめぐる言説が海外では政治的・社会的な緊張を帯びやすいという点である。こうした状況がある中で、冒頭の事例のように、着物にヒジャブを合わせることに対して日本人から批判されるようなことが頻発すれば、海外の人々(それはムスリムに限られないだろう)にとって着物を着ること自体を避ける理由になってしまう。

というわけで以下反論を3点ほど。

A. 頭巾は日本の伝統的な服装である

そもそも頭に布のかぶりものを着用することは日本の伝統的な服装において珍しいものではない.。もともと頭巾は高位の僧侶など一部の人々が身につけるものであったが、江戸時代に入って武家や公家、さらには庶民にまで普及していった。防寒や塵除けのため、あるいは人目を避けるため、男女問わず、人はさまざまな頭巾を着用した。

ムスリム女性が髪を隠すための布はさまざまあるが、ヒジャブに見た目が近いのは御高祖頭巾あたりだろうか。上流階級の女性が着用するもので、のちに町人女性にも広まった。現代では紫外線よけのフェイスカバーとして似た形のものが売られており、屋外で着用している人もいるだろう。和服に合わせれば往時の高貴な女性を訪仏させる着こなしに見えるかもしれない。

元の妄言は「手ぬぐいをかぶるのは夜鷹だ」と主張していたが、当時は男女問わず手ぬぐいをかぶったのであり、かぶり方もいろいろある。一般に夜鷹としてイメージされるのは手ぬぐいを頭からかけて耳の横にたらし、片方の端を口にくわえて顔を隠す「吹き流し」と呼ばれるスタイルだが、これも当時は一般女性が屋外で用いていた例が確認されており、夜鷹に限った話ではない。現在のように「吹き流し=夜鷹」という固定イメージが形成された背景には、江戸後期の図像表現や後世の浮世絵・時代劇の影響がある。

そもそもやり玉にあげられたムスリム女性は夜鷹スタイルでヒジャブをしていたわけでもないので夜鷹になぞらえるのは的外れだ。また仮にムスリム女性が顔を隠すニカブのようなものを着用していたとしても、現代日本においてそれが夜鷹に類似する服装と考える日本人はほとんどいないだろう。さらにいえば、「夜鷹」は当時蔑まれていたとはいえ、やむを得ない事情でそうしていた女性が多かったはずで、そうした女性を蔑視のネタとして持ち出すのは少なくとも現代日本の価値観に合わない。

B. 着物文化は今も発展途上である

残念ながら、現代日本において着物を日常的に着ている人はほとんどいない。着物は主に女性の晴れ着としてごく限定的な状況下で着用されるものとなっていて、一度も着たことがないという人も多いだろう。実際、着物の産業規模は1980年代以降減少の一途をたどっている(図1)。

図1:呉服小売金額の推移

※和装振興研究会報告書より

※和装振興研究会報告書より

戦後の着物産業の発展が晴れ着需要に大きく依存してきたことは否定しようもなく、これがその後の市場規模縮小の一因であることは報告書も指摘する通りだが、このような現状は、業界の人々にとって当然憂うべきものである。2015年、経済産業省は「和装振興研究会」を設置し、業界の人々とともに議論を重ね、報告書を公表している [9]。現在は「和装振興協議会」[10] となり、有識者、和装業界関係者らが着物の需要喚起や和装文化の継承、市場の健全化に向けた施策を協議している。

報告書では、着物市場にみられる市場縮小のスパイラルを産業側、着る人側の双方にわたって分析している(図2)が、そこで着る人側の大きな課題となっているのが「着こなしがわからない」ということである。これは現在の着物がルールに縛られていて自由がないこと、それが着物の敷居を高くしていることを示唆している。

図2:着物市場の現状

※和装振興研究会報告書より

※和装振興研究会報告書より

きものの原形である小袖は、高温多湿の日本の夏の気候でも涼しく過ごすことができるように発展を遂げてきた衣服である。小袖が日常着として着用されていた江戸時代では、もっと自由にそしてゆったりときものを着こなし、夏を涼しくオシャレに過ごしていた。きものを着用するなら小袖の原点をもう一度認識することが重要ではないか。
江戸時代に不特定多数の庶民が楽しめるモードとして発展した小袖は、文様を自由に遊ぶ、想像力豊かな庶民によって支えられてきたもの。きものの着用を広げていきたいのであれば、きもの(小袖)の本質をもう一度理解しておくべきではないか。

※和装振興研究会報告書より

考えてみれば、現在日本人が日常的に着ている洋服において、ルールがないわけではないが、特に日常着において着方を細かく縛るルールはない。現在の着物の着方が窮屈なものとなっているのはそれらが多くの場合「晴れ着」と位置付けられているからであり、それが着る機会を狭める大きな要因になっている。

着物が今後生き残っていくためには着用機会を増やす必要があり、そのためにより日常着としての着物の普及をはかるとすれば、より自由な着方が広まっていくことが望ましい、というのが、和装振興研究会の構成メンバーでもあった、日本の着物を支える業界の人々の考えである。その意味で、ヒジャブを着用したぐらいで文句をいうのは筋違いも甚だしいだけでなく、日本の伝統文化を守ろうと努力を続ける方々がめざす方向性に逆行するものでもある。

C. 着物産業は外国人の需要に期待している

日本で少子高齢化が続く以上、日本人からの需要だけを考えていれば、仮に着物の普及率が変わらなくても市場を縮小し続けることになる。2015年にまとめられた上記報告書では「日本に来る外国人はきものを着た日本人を見たいと思っている」としていて、まあわからないでもないのだが、実際には訪日外国人観光客にとって着物体験はポピュラーな行動となっており(表1)、外国人自身による着物体験も重要な市場になっている [11][12]。こうした人々が着るのは主にレンタルの着物だが、中には購入していく人もいるわけで、こうした人々の存在は業界にとっても重要である。

表1:伝統文化体験(複数回答)

※押野(2017)

※押野(2017)

以上がムスリム女性が着物にヒジャブを合わせることへの「批判」に反論する主張である。

それは彼女らへの「アドバイス」でも着物文化を守ろうというものでもなく、単に反イスラムの排外主義の道具に着物を利用しているにすぎない。もとより着物に対する知識も愛着もない人が、日本の誇るべき伝統文化を排外主義の道具にしているのは見過ごしがたい。それは、着物文化の裾野を広げようとする人々の努力を損なう行為でもあるし、何より日常着として着物にパーカや革靴を合わせたりしている私自身が我慢ならない。

憤りはここまでにして閑話休題。

7/2は半夏生だったので、買ってきたタコの酢の物にいただきものの酒を合わせてみた。半夏生にタコというのは、タコの足のように稲がしっかりと根を張り、豊作になることを願う関西の縁起担ぎだそうだが、着物が今後も日本文化の象徴の1つであり続けていくことを願いつつ一服。

参考文献等

[1] ジョニー・デップ主演の香水CMに批判殺到 ディオールがSNSから削除
https://www.cinemacafe.net/article/2019/09/02/63290.html

[2] ウィリー・チャヴァリア、メキシコ先住民への“文化の盗用”で謝罪 「アディダス オリジナルス」とのコラボシューズで
https://www.wwdjapan.com/articles/2182885

[3] MFAの着物論争はより深い議論を引き起こすはずだ
https://discovernikkei.org/ja/journal/2015/7/16/kimono-controversy/

[4] VALK, Julie (2015). “The “Kimono Wednesday” Protests : Identity Politics and How the Kimono Became More Than Japanese.” Asian Ethnology 巻 74, 号 2, p. [379]-399
https://nanzan-u.repo.nii.ac.jp/records/3521

[5] キム・カーダシアンが起こした「Kimono」ブランドの波紋
https://globe.asahi.com/article/12502594

[6] エドワード・W. サイード著、今沢紀子訳(1986)『オリエンタリズム』平凡社.

[7] 横山昭(2012)「モネと日本趣味 その一側面:《ラ・ジャポネーズ》の衣装から見えるもの」『美術史論集』12: 127-139.

[8] 【結婚式の和装】白無垢・色打ち掛けetc.種類やトレンドSNAP&髪型
https://zexy.net/article/app002003018/

[11] 押野菜央(2017)「外国人観光客における着物への関心と業界の対応」『目白大学短期大学部研究紀要』53: 73-84,

[12] 着物は外国人からも大人気!着物×インバウンドはレンタル着物だけじゃない?
https://www.worldmenu.jp/articles/?p=4624

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